【私のへそ物語④】骨髄移植は最後の砦?


◆今までの話し①~③◆
① 貴方は、もう忘れたかしら~♬ 私の中に渦巻く“罪悪感” 
② 離婚・自由・楽しい 「え?大どんでん返し?? 」
③  まだ死にたくないよ


骨髄移植は最後の砦?




ひとり、暗い病院の廊下で 
祈りながら待つこと4時間。 


画像の説明



点滴をつけたオオマが、 
やっと出てきた。 

その姿は、 
いきなり、病人に見えた。 

そして、医師から受けた説明は 

オオマが白血病であること 

白血病とは、どんな病気か? 

この病気の治療に、 
新しい治療の治験をすること 

その治療は、 

約1年の入院抗がん剤治療と 
1年の通院抗がん剤治療、 

そして 

途中に行う放射線治療による 
中枢神経への転移予防と 

リンパ及び他も含めた再発への対処の 
全2年の治療計画だった。 

白血病と聞くと、 
百恵ちゃんの赤のシリーズの影響もあって 
骨髄移植がすぐに浮かんだので 

「骨髄移植はしないんですか?」 

と、尋ねたところ 

まず抗がん剤治療をし、抗がん剤が合えば 
寛解の可能性があることと 

始めから骨髄移植をする場合にも  
抗がん剤は使用するので 

もし再発した場合に、 
抗がん剤が効かない場合が多く 
治療の手立てがなくなるから、らしい。 


つまり、 
骨髄移植は、最後の砦らしいのだ。 


さらに、医師の見解では、 

この病気の小児の場合は、 
(医師が言うには8歳、いっても10歳まで) 

助かる確率が8割、言いかえると、 
2割の人は助からない。 

が、 
10歳を超すと数字は逆転していく。 

オオマの場合は、13歳。 
(オオマは早生まれなので、中学2年の春です) 

助かる確率は、4割あるかないか 
つまりそれは、100人いたら 
60人が助からないということです、 

と言われた。 

この時わたしは、 

半分以上も生きる可能性があるんだ」と、 

オオマが生きることに希望を見出していた。 

今思えば、 

60人が助からないという言葉は 
わたしの耳へは届いていなかったと思うし 

わたしの意識は、 

「オオマは生きられる」 

そこにしか向いてなかった。 

入院の準備をしに家に帰った私は、 
近くに住む妹に連絡し 
アサリとツナを預かってもらうことにした。 

そして、やはりこみあげてくる 
病気に対する不安や恐れ 

オオマに対する、すまないと言う思い 
アサリとツナに対する、ごめんねの思い 

色んな思いに、今だけ、一晩だけ 
思いっきり泣いて気持ちを吐き出し 

後は、今にだけ集中すると決め、 
絶対に涙は見せないと自分に誓った。 

そこからの私の行動は、 
とにかく“今の瞬間”を見逃さないようにと、 
目の前のことに集中するだけだったんです。 


日中オオマの世話をするため 
営業の仕事は辞め、 
市場と病院の往復の毎日が始まった。 

が、 

有難いことに、 
営業先の受注だけ確認して 
毎朝連絡をくれないか?と 
会社の社長から連絡をもらい、 

電話での連絡を毎日することで 
お給料がもらえました。 

妹がアサリとツナは任せて 
オオマにだけ集中して、と 
預かってくれました。 


そうやって、 

いろんな人が次々と 
手を差し伸べてくれて 
心の支えになってくれたからこそ、 

今この瞬間のオオマに集中し 
今この瞬間に出来ることに集中できた。 

ほんと、この時ほど“今”というときを 
こんなに大切にしたことはなかったと思う。 

お金のことやこれからのこと、 
いろんな心配や不安も 

目の前のことに集中してたら 
感じるヒマもなかった。 

そっか、悩みって 
ヒマがあるから悩むんだな~。 

心配や不安ってのは、結局 
ただの空想にしかすぎないんだ 

ってね、 
この時に気づいたんです。 

ただね、残念なことに 
気づいたからって 

ヒマができれば勝手に 
不安も心配も恐れも 
悩みや問題も作り出すんだよね。 

そういうのを通して成長していくのが 
人の生まれた目的でもあるのだから 
これは至極当然のことだけど 

同時に、一度気づいたことは、 

それを知っちゃったからこそ 
知らなかった時とは 
違う視点をもつことが出来る 

ってことにも気づいた。 


⑤  子どもは所有物じゃないへ続く